2011年4月27日水曜日

教養とは

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茂木健一郎氏の連続ツイートを記録しておこっと。

教養人になることは、最低限の目標だから。


教養(1)
昨今の状況を見るにつれて、停滞や失敗は悪意や怠慢というよりは、知性の不足によってもたらされると確信するようになった。しないのではない、できないのである。現代における「教養」とは何か、問い直される時がきたと思う。


教養(2)松下村塾や適塾のような、激烈な学舎を打ち立てるにしても、一体何を学ぶのか、現代における教養の体系が確立していなければ不可能である。そこで、今日を生きるために必要な教養とは何か、考えてみたい。


教養(3)まずは言語能力。特に日本語と英語。中国語は、まだ限定した意味しかもたない。日本語と英語で広範な文献を読み、自らも使いこなせること。そうでなければ、グローバルな舞台で活躍することは難しい。


教養(4)次に数学。ピーター・フランクル氏も言うように、数学は計算ではない。論理的で緻密な思考能力のことである。文明を支えるITも、コンピュータの論理構造に寄り添って構築しなければ始まらない。


教養(5)次に、システム思考。システムの頑強性と脆弱性を理解し、対処できること。オープンでダイナミックなシステムを、いかに構築し、運営し、その中で生きるか。完全なセキュリティはあり得ない。コンプライアンスの過剰な適用な、ルールの盲従は、システム思考の欠如に起因する。


教養(6)さらに、ネットワークに関する知識と感性。不特定多数の人が接続し、情報が流通し、フィルターされ、蓄積されるネットワークについての理論、実践に基づいた生きた感触を持つこと。日本に散見されるネットに対する危険視、敵意は、ネットワークについての教養の不足から生まれる。


教養(7)情報についてのリテラシー。情報がいかに生み出され、加工され、流通するかについての理解と経験。メディアの中で報じられている情報を鵜呑みにしないこと。自分で確かめるまでは判断を保留すること。しかし、時間的制約の中で、とにかく行動すること。


教養(8)人の気持ちがわかること。他人の思いに敏感であること。自由な競争と、セイフティ・ネットのバランス。他人に対して、フェアであること。フェアなコミュニケーションのルールを選択し、自らも構築できること。


教養(9)このように現代における教養の要素を書き並べてくると、「文系」「理系」のような化石的体系はもはや無意味であることが確信される。大学でのリベラル・アーツ教育は大切だが、それは幼少期から始まり、社会人になっても継続しなければならない。


今求められているのは、現代における「教養」の体系を見据えた、私塾的な激しい切磋琢磨だろう。国家による「学位」のお墨付きは、一定の社会的役割を果たすだろうが、現代の教養にとっての必要条件でも十分条件でもない。




(5)の教養がなかなかイメージできないなあ。
経験不足かな。



2011年4月23日土曜日

これから


ちょいと、これからの人生について考えていることを書こうかな。
最初のブログだし、思い切ってね。


去年の3月以来、この1年間は国際協力の世界に浸かってきた。
ほんとにそれしかやってなかったんだなあと、つくづく思う。

もちろんそれを後悔しているわけではないし、
むしろこの一年は本当に充実していた。
ぼくは自分の選択や運命はすべて正しいと本気で信じる人だから、
どんな生活を送ったとしても基本的にいつも満足。
けどこの一年は、今までとは全く違う世界を知るきっかけになって、
特に貴重な一年だった。

ただ、その間にできなかったこと、知ることのできなかった世界があるのも事実。
ゴルフや読書、勉強はおろそかになったし、
たとえば環境や福祉の分野の世界に足を踏み入れる機会も失ってしまった。

人生は、トレードオフ。


今回、福祉系のNPOの方とお仕事をさせてもらい、また宅老所で生活をする中で、
改めて色々な世界を知ることの大切さを痛感。

同じ世界にずっといると、どうしても周りの世界への関心が薄れてしまい、
さらには、周りの人を軽蔑するようになることもある。
たとえば、国際協力の世界にいる自分は、
普通の大学生よりも尊いことをしているし、充実した生活を送っていると。
このような勘違いも生まれかねない。

でも、それは違う。


ぼくの数少ない友達には、何事にもあまりやる気のないやつが結構多い。
なぜか知らないけどそういう人と気が合う。
彼らは彼らなりに色々考えているし、不安に思っていることも多い。
なるほどと納得させられることも多い。

彼らにも彼らなりの人生がある。
各々が、理想の世界を頭に描いている。

ぼく自身も、偶然スタディツアーに参加するまでは、
趣味に生きる幸せな大学生だった(ゴルフ、絵画、読書)から、
彼らと同じように勉強にも社会活動にもほとんど興味がなかった。
だからなおさら彼らの気持ちが理解できる。

国際協力の分野では、
世界を変えてやる!って人か、国際協力楽しい!って人が大半だから、
どうしても感覚が麻痺してしまいがち。
世の中には色々な人がいるということを、常に忘れちゃいかんの。


話がそれた。

今回仙台に滞在して考えているのは、ありきたりだけど、
これから自分がどのような活動をしていくかについてだ。
その上で重要なのが、「理想の世界」。

さっき言ったように、
やる気のない友達でも皆、理想の世界像をイメージしている。
ただ、それを実現するために発言したり行動したりまではしていないだけ。
勇気がなかったり、面倒くさかったりで、自然と諦めてしまっている。
そして、とりあえず自分が楽しく生きられればいいと思ってる。

ぼくはそういう彼ら(過去のぼく)にある意味賛成というか、
それはそれでいいじゃん!って思う。
幸せに結婚して趣味に生きるなんて、今でもぼくの理想の一つだし。

ただ、この一年で刺激を受けすぎた。
理想の世界がだんだんとはっきりしてきたし、
それを実現するために活動することの充実感を覚えてしまった。

だから、今後それをひっくり返す大きな出来事がない限り、
ぼくは理想の世界を追い求めて生きていくんだろうなあって思う。


では、なにが理想の世界なんだろう?

福祉の分野で活動している人は、
老後も楽しく生きて、幸せに死ぬこと、
これが理想の世界だと強く信じている。

かものはしに関わっている人は、
児童が売春宿で働かなくてよい世界、
これが理想の世界だと強く信じている。

高齢者が住みやすい世の中も、
児童買春問題がなくなる世の中も、
ぼくにとってはどちらも理想の世界だ。
どちらが優先という話でもない。

じゃあ、どうすりゃいいんだ?
ぼくはなにするんだ?


それを決めるには、
次の3点が重要なのかなと思っている。

・問題意識 ・・・理想と現実のギャップ
・楽しさ ・・・活動に関わる人たちが好き
・運命 ・・・自分に関係のあること or たまたまその世界に関わった

活動家みんながみんな3点全部をしっかり意識してるわけではないだろうし、
どれを特に重視するかは人それぞれだろうけど、
たぶん3つのバランスが重要なんだろう。

でもぼくは3つ目を理由にするのは嫌。
運命を最も信じる人だけど、
それは起こってしまったあとに信じるということであって、
起こる前、活動する前は、あらゆる選択肢を考慮したいタイプ。

だから、いまのうちは、
色んな問題に触れて、色んな人に話を聞いて、
1つ目と2つ目を感じていきたい。

ここまで時間をかけてしまうのにはもう一つ理由がある。
それは、周りにいる人みんなの意見を尊重し、理解したいという、
ある意味、ぼくの信念。

それを延長すると、色んな分野の問題を知って、
そこで活動する人の考え方を知っておきたいという欲求になる。


でもそれを追い求めすぎたら、
いくら命があっても足りないくらい時間がかかるなあ。

時間が惜しい。 
惰眠をむさぼる体質をなんとかしたい。
昨日は合計12時間寝たのかあ。。


次は、福祉の世界に接して感じたことを書きたいな。