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茂木健一郎氏の連続ツイートを記録しておこっと。
教養人になることは、最低限の目標だから。
教養(1)
昨今の状況を見るにつれて、停滞や失敗は悪意や怠慢というよりは、知性の不足によってもたらされると確信するようになった。しないのではない、できないのである。現代における「教養」とは何か、問い直される時がきたと思う。
教養(2)松下村塾や適塾のような、激烈な学舎を打ち立てるにしても、一体何を学ぶのか、現代における教養の体系が確立していなければ不可能である。そこで、今日を生きるために必要な教養とは何か、考えてみたい。
教養(3)まずは言語能力。特に日本語と英語。中国語は、まだ限定した意味しかもたない。日本語と英語で広範な文献を読み、自らも使いこなせること。そうでなければ、グローバルな舞台で活躍することは難しい。
教養(4)次に数学。ピーター・フランクル氏も言うように、数学は計算ではない。論理的で緻密な思考能力のことである。文明を支えるITも、コンピュータの論理構造に寄り添って構築しなければ始まらない。
教養(5)次に、システム思考。システムの頑強性と脆弱性を理解し、対処できること。オープンでダイナミックなシステムを、いかに構築し、運営し、その中で生きるか。完全なセキュリティはあり得ない。コンプライアンスの過剰な適用な、ルールの盲従は、システム思考の欠如に起因する。
教養(6)さらに、ネットワークに関する知識と感性。不特定多数の人が接続し、情報が流通し、フィルターされ、蓄積されるネットワークについての理論、実践に基づいた生きた感触を持つこと。日本に散見されるネットに対する危険視、敵意は、ネットワークについての教養の不足から生まれる。
教養(7)情報についてのリテラシー。情報がいかに生み出され、加工され、流通するかについての理解と経験。メディアの中で報じられている情報を鵜呑みにしないこと。自分で確かめるまでは判断を保留すること。しかし、時間的制約の中で、とにかく行動すること。
教養(8)人の気持ちがわかること。他人の思いに敏感であること。自由な競争と、セイフティ・ネットのバランス。他人に対して、フェアであること。フェアなコミュニケーションのルールを選択し、自らも構築できること。
教養(9)このように現代における教養の要素を書き並べてくると、「文系」「理系」のような化石的体系はもはや無意味であることが確信される。大学でのリベラル・アーツ教育は大切だが、それは幼少期から始まり、社会人になっても継続しなければならない。
今求められているのは、現代における「教養」の体系を見据えた、私塾的な激しい切磋琢磨だろう。国家による「学位」のお墨付きは、一定の社会的役割を果たすだろうが、現代の教養にとっての必要条件でも十分条件でもない。
(5)の教養がなかなかイメージできないなあ。
経験不足かな。
個人的に茂木さんはあんま好きじゃない。
返信削除まあそれはおいといて、
個人的には
教養は身につけようとするものじゃなくて、
自然と身に付くものだと思う。
無理に身につけようとしても
定着しないんじゃん?
逆に専門分野を突き詰めていったら、
だんだん派生的に興味の範囲が
広がっていって自然と身に付くもの
なんじゃないかな??
「僕はあまりこの分野には興味がないのだが、
社会的にこれは知っておいたほうがよいことになっている。
だから勉強しよう」
って考え方は危うい気がするね
興味があるならいいと思うよ^^
たなしょ